仕立物の針仕事

「ほんに。――喧嘩やろか」 豹一はしょんぼり立ち上って、すごすご路次を出て行った。道頓堀の勝はとっくに姿を消していた。

[#6字下げ]二[#「二」は小見出し]

 薄暗い電燈の下で、お君は仕立物の針仕事をしていた。 下寺町の坂を登って来る電車の音や、表を通る下駄の音は凍てついた響きに冴えて、にわかに夜が更けたようだった。お君は針の目に糸を通しながら、豹一の帰りのおそいのを想った。夜業でおそくなることもあるが、しかしこんなにおそいのははじめてだった。深くは気にかけなかったが、しかし犬の遠吠をきいていると、戸外の寒さが想いやられた。安二郎がけちだから、ほんのちょっぴり炭火をいれているだけだったが、それでも家の中はさすがに温みはあった。 安二郎は背中を猫背にまるめて、しきりに算盤をはじいていた。算盤をはじいているときほど楽しいことは、またとないのだ。ことにそれが女房に貸しつけた金の元利計算と来ては、ぞくぞくするほどたまらない。夜のふけるのも知らなかった。しかし、繰りかえし計算したあげく、安二郎はおやと、不安になった。安二郎はお君の仕立賃のほか、最近は豹一がお君に渡す月給の幾割かをも右左にまきあげていたので、正直な計算によれば、もはや取るべきものはすっかり取ってしまったどころか、取り過ぎている勘定になっているのだった。安二郎は狼狽した。これ以上お君の手から取りあげるのは不正所得なのだ。われながらも浅ましいほど高い利率を課して来たのに、もうすっかり返済されているとは、なんとしたことか。かえすがえす残念だった。安二郎は自分の計算を疑った。もう一度おそるおそる計算してみた。同じことだった。この上は不正所得であろうとなかろうと、欺して取るより仕方がないと、安二郎は覚悟を決めた。しかし、お君は欺せても、豹一の眼はいまいましいほど鋭い。「えらい冷え込んで来ましたな。炭つぎまひょか」お君が言った。「なに言うねん。もったいない。きょう日炭一俵なんぼする思てるねん」

— posted by id at 03:19 pm  

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